埼玉県入間市の二本木神社近くにあるオッパケの坂。高低差は21mもあって、結構な急斜面。私のようなおじさんだと、自転車で登りきるのはまず不可能。徒歩でも息が上がってしまう。
昔から変わらぬ坂だが、調べてみると色々と面白い発見もある。
まず気になるのがそのネーミング。オッパケ・・・。
名前の由来は「川の浸食でできた崖のことをハケと呼ぶ」とのこと。それならパケはすんなり受け入れられる。
しかし「オッ」ってなんだ?
市長のオフィシャルブログでは「ハケ」が訛って「オッパケ」となったと書かれてたが、どのサイトを探しても確証の得られそうな情報は見つからなかった。
この「ハケ」というのは、オッパケの坂だけに当てはまるものではい。川の浸食による崖なので、けっこう広大な範囲に及ぶ。
時を遡ること約2万年前。青梅から川越方面に向かって古多摩川が流れており、それによって浸食されたところに作った坂道だから「オッパケの坂」と呼ばれている。
ハケ(崖)の位置と範囲
実際のハケの範囲は、茶色く塗られた部分は全部。なので、茶色い部分を通過するためには、必ず坂道を登らなければならない。
ちなみに、右側にある不老川は、古多摩川の跡地を流れているらしい。
オッパケの坂をわかりやすく理解するには、年代を順に追っていくのがいいだろう。
まず、何万年も前、青梅から川越に向かって古多摩川が流れて、土地を浸食していった。(オッパケの坂の上部分完成)古多摩川は流れる場所を変えながら、さらに土地を浸食していった。(オッパケの坂の下部分完成)
そして出来上がったハケに道路を作って、オッパケの坂の完成。
金子台の区切り
地図で見るとこんな感じ。茶色の部分が先に浸食され、黄緑色の部分があとで追加の浸食を受けた部分。だから、茶色の部分の土地は高く、黄緑色の部分の土地は低い。オッパケのハケ(崖)はこうしてできましたとさ。・・・多分。
追記
「日光脇往還 二本木宿 扇町屋宿 二宿物語」という書籍の中に「大ハケ下(通称オッパケ)金子段丘上の通路」という言葉があった。大きなハケ(崖)だから大ハケ。オッパケの由来はこれで解決したと思われる。
大ハケ⇒オオハケ⇒オッパケ