我が家の近所には不老川が流れている。しかし、子供のころは生活圏とかぶってなかったし、大人になって定住を決めてからも、場所すらハッキリと把握していなかった。
改めて調べてみれば「あ、あの水が流れているところね」と知っているのだが、それを「川」として認識すらしてない始末・・・。
まぁ、若い世代なんてそんなものだろう。年を重ねると興味も移り変わっていくものだ。というわけで、今回は不老川について調べたことをまとめてみる。
不老川の概要
まずは、現在の不老川の情報を整理してみる。
荒川水系の一級河川
私は不老川を「水が流れているところ」と思っており、川という認識がなかった。それくらい川幅は狭く、水量は少ない。しかし、不老川は国土交通大臣が指定した一級河川である。
一級河川は住民の生活に密着した重要な川と位置付けられており、その川に流れ込む川は大きさに関係なく全て一級河川となる。不老川は最終的に荒川(一級河川)に合流することから、荒川水系の一級河川という扱いになる。
水源は瑞穂町の狭山池?
不老川の水源は、東京都瑞穂町にある狭山池の伏流水といわれている。ただ、実際に川が地表に現れるのは国道16号瑞穂第三小学校入口交差点付近だ。距離にして1.5kmも離れているので、はっきりとした確証は得られない。
不老川の源流1
源流はおおよそこの辺りっぽい。それらしき水路がある。ここから国道16号を渡るので、地下を流れているのか?16号を挟んで反対側に、L字の細い水路が確認できる。繋がっているようにも見えるが、地上からの目視では途切れてしまっている。
不老川の源流2
ハッキリとした源流を確認できるのは、昭和シェル元狭山SSの裏手あたりから。ここから瑞穂町、入間市、所沢市、狭山市、川越市と流れ、新河岸川に合流。新河岸川は所々で一部荒川に合流し、残りは墨田川となり東京湾に注ぎこむ。
名前の由来
現在の不老川は「ふろうがわ」と呼ばれている。道路や橋にある標識も「ふろうがわ」である。しかし、昔の呼び名は「としとらずがわ」だった。
昔の不老川には生活排水が流れ込んでおらず、自然の降雨サイクルで水量が変化していたようだ。そのため、秋雨の時期を過ぎ降水量が減ってくると水が枯れてしまい、節分のころになると渇水状態になることが多かったとのこと。
旧暦では1年の始まりを立春と考えるので、ちょうどその時期に水がない不老川は「年越しができない川」すなわち「いつまでも老いることがない」と認知され、としとらずがわと呼ばれていた。
入間市博物館が発行している古地図を確認してみると「字不年登ら川」と記されている。新編武蔵風土寄稿には「年不取川」と記載されているようだ。1976年(昭和51年)に不老川という名称に変更された。
不老川の歴史
入間市上藤沢からみた不老川
川について調べていくと、必ず大昔の地層の話に行き着く。不老川も例外ではなく、なぜ今ここに流れているのかは、何万年も前に遡ると理解できる。
古多摩川の跡地を流れている
まず最初に、武蔵野台地というエリアを把握しておく。
武蔵野台地の範囲
ざっくり表すと、赤線(入間川)、青線(荒川)、緑線(多摩川)で囲まれた範囲が武蔵野台地である。左(西)にある青梅から東京湾に向かって、昔の多摩川(古多摩川)が流れており、流域を変えながら土地を浸食した結果、広大な台地が形成されたというわけだ。
武蔵野台地の中にも、浸食された年代によって土地の高低差がある。不老川は立川面というエリアを流れており、北西には金子面というエリアがある。年代的には金子面が先にでき、あとから追加で立川面が浸食されている。
つまり、金子面の土地は高く、立川面の土地は低い。先に金子面を浸食した古多摩川が、流れを変えて追加で浸食した立川面の跡地に、不老川が流れているというわけだ。そのため、立川面から金子面に向かうと上り坂にぶつかる。
関連記事⇒入間市二本木にある「オッパケの坂」は数万年前からある?
日本一汚い川という汚名
不老川は元々普通の川だった。水遊びもできたし、魚もいたようである。しかし、1983~1985年の3年間は、日本の河川の中でワースト1を記録するほど汚い川になってしまった。1970年頃からの人口増加に伴い、生活排水や工業排水が増えたが、下水整備が追い付かず水質が悪化してしまったためである。
しかし、これがキッカケとなり地元住民らによる清掃活動が行われるようになった。水質は徐々に改善し、現在の不老側にはギンブナやドジョウ、モツゴなどの川魚がみられ、カワセミやカルガモなどの水鳥も戻ってきているとのこと。
参考サイト・書籍など
- 不老川流域川づくり市民の会
- 入間市博物館古地図シリーズ2二本木村絵図
- 日光脇往還 二本木宿 扇町屋宿 二宿物語