地名

入間市にある「二本木」という地域の変遷(移り変わり)

埼玉県の入間市南西部には「二本木」というエリアがある。今回はこの地域がどのように移り変わってきたのかを調べてみた。

まず最初に現状の確認。入間市二本木は、以下のオレンジ点線の部分である。

入間市二本木

不老川と書かれたあたりが飛び地で離れている。また、中央部には小さなオレンジ線の区画が点在している。ここには駒形富士山、高根という地名がある。二本木の区画にあるのに「入間市高根」「入間市駒形富士山」と表記されているのだ。この時点で、過去に複雑な合併や分立があったことが予想できる。

 

さて、二本木という地名の由来だが、これは榎の大木が2本あったためとされている。いわゆる「一里塚」というやつだろうか。どこにこの榎が生えていたのかというと、東京都瑞穂町にある瑞穂第三小学校付近の榎台というエリアらしい。

 

・・・Tokyo?

 

入間市二本木なのに、二本木という地名の由来は、東京に生えていた二本榎からきているのだ。実は、埼玉県入間市と隣接している東京都瑞穂町にも二本木というエリアがある。

瑞穂町二本木

オレンジ線の部分が瑞穂町二本木。やはり右側の方に飛び地がある。この飛び地問題を解決するために、入間市二本木と瑞穂町二本木を組み合わせてみると・・・

二本木と表記されるエリア

これでようやく「二本木」というエリアの全容が見えてきた。現在は飛び地となっている部分は、昔はつながっていたというわけである。この情報を前もってインプットしておくと、二本木という地域の移り変わりについてグッと理解しやすくなるはずだ。

それでは歴史を振り返ってみよう。

1590年(天正18年)

どうやらこの時点が「二本木」という地名を確実に遡れる限界っぽい。市指定文化財の栗原家文書という古文書にて、「二本木村百姓中」という宛名が確認されている。これが1590年なのだ。

当時八王子の城を攻めていた豊臣軍から、二本木の栗原右馬助氏宛てに出された書状とされており、豊臣秀吉が天下を統一した年にあたる。

もちろん、これ以前にも二本木村はあったのだろう。しかし、二本木に関する中世の物証は見つかっていない。このエリアは、武田の残党や後北条の落武者が移り住んできたといういわれがある。

その年代は1582年前後となるため、近世初頭以降の物証(板碑や古文書)しか見つからないらしい。

1652年(慶安5年)

八王子千人同心による日光での火の番役が始まると、同心達の往復の経路として日光脇往還(八王子⇔日光)が整備された。二本木村は馬の交換をしたり、休憩や宿泊をする宿継場として二本木宿を造成していった。

1744年(延享元年)

旅の安全を願って、二本木の上宿に道標が造られた。「左 大山 八王子」「右 青梅」と記されている。単独の道標としては市内最古のものである。

二本木上宿の道標|入間市内最古・1744年(延享元年)に造られた

1830年(天保元年)

新編武蔵風土寄稿にて、二本木村は宿場として紹介されている。2本榎が瑞穂町に生えていたという記録は、この資料に記載があるようだ。

箱根ヶ崎⇔二本木⇔扇町屋の間で人夫や馬を手配していたため、道路の左右に宿屋や商家が連なって170戸もあったといわれている。

1889年(明治22年)

二本木村+高根村+駒形富士山村+富士山栗原新田が合併して「元狭山村」となる。冒頭で紹介した「高根」「駒形富士山」という地名は、この合併の影響だと考えられる。

1958年(昭和33年)

戦後になると市町村の合併が促進される。戦前の日本は中央集権が強く、地方には弱小の村々がたくさんあった。それだとまた危険な戦争(アメリカ目線)を始めるかもしれないし、公共の福祉も充実しないということで、村はどんどん合併していくことに。

その流れを受け、元狭山村にも合併の動きがあり、1954年に東京都瑞穂町への編入を議会が決定する。

 

・・・Tokyo?

 

これが、今の二本木を分断した決定的な出来事になる。元狭山村は埼玉県だ。だから、東京に編入したいなんていう訴えは、埼玉県としては面白くない。そこで「元狭山村問題対策協議会」を設置して、東京編入を妨害したのである。

その結果、現在の県道179号あたりを境界として、北側を埼玉県、南側を東京都という形で分断することになった。

当時は埼玉県側が武蔵町、東京都側が瑞穂町だったので、元狭山村の二本木エリアはそれぞれに吸収されてしまうのだった・・・。

1966年(昭和41年)

武蔵町を入間市とし、現在の入間市二本木の形となった。

まとめ

中世の二本木に関する記録は見つかっておらず、近世初頭の1590年に文書としての最古の記録が残されていた。江戸幕府が開いてからは、八王子千人同心の宿場町として活況を呈した。

正直なところ、二本木エリアが一番栄えたのは宿場町時代だろう。今の二本木は入間市の中でも人口が少ない地区となっている。

近代になってからは合併や編入によって、運悪く埼玉県と東京都に分断されてしまうことに。現在は生まれつき入間市二本木、瑞穂町二本木の住人たちが主役になっているはずだ。「同じ二本木」という感覚はなくなってしまっただろう。

 

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