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狭山丘陵は古多摩川が削り残した武蔵野台地に浮かぶ「緑の島」
私が子どもの頃から、その「山」は当たり前のようにそこに存在していた。学校に通う日々では、毎日の通学でその「山」を越えなければならなかった。 急勾配のため、たとえ10代の若さがあっても、自転車で登るのは ...
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狭山茶に関する石碑が狭山丘陵北麓と加治丘陵南麓に集中している理由
戦国の乱世で衰退してしまった河越茶は、1800年ごろから狭山茶として生まれ変わって復興してきた。その中心になったエリアは、狭山丘陵北麓(狭山)と加治丘陵南麓(根通り)である。 最終的には狭山の名が残っ ...
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狭山茶は偶然の発見?|吉川温恭による栽培の取り組みとブランド化
茶の歴史は古く、紀元前2700年ごろには中国での記録が存在している。茶葉に含まれるカテキンやカフェインに、薬や宗教的な価値があったのだろう。 さて、現在の日本においてお茶といえば宇治茶、静岡茶、狭山茶 ...
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狭山茶はどこの自治体にあるのか?|入間市と狭山市の奇妙な関係
昔から「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめをさす」と言われており、日本三大銘茶といえば静岡茶、宇治茶、狭山茶のことを指す。名誉あることに、私の住む自治体は狭山茶の生産量がNo.1だ。 通勤に使っ ...
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たった14年?|陸軍航空士官学校狭山飛行場の建設~開墾
埼玉県の入間市にあった陸軍航空士官学校狭山飛行場。存在したのは1933~1946年までのわずか14年ほど。 たったそれだけの期間なのに、どんな経緯だったのかを調べてみたら、とても複雑で頭がこんがらがっ ...
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入間市にあった「陸軍航空士官学校狭山飛行場」の遺跡を探してみた
1934~1946年頃のわずか十数年の間、現在の埼玉県入間市エリアには飛行場があった。その名は「陸軍航空士官学校狭山飛行場」である。 現在地でいうと冒頭の地図の色塗り部分。中村屋の工場~武蔵工業団地あ ...
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不老川は入間市二本木~宮寺~藤沢を流れる一級河川
我が家の近所には不老川が流れている。しかし、子供のころは生活圏とかぶってなかったし、大人になって定住を決めてからも、場所すらハッキリと把握していなかった。 改めて調べてみれば「あ、あの水が流れていると ...
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入間市にある「二本木」という地域の変遷(移り変わり)
2025/10/18 二本木
埼玉県の入間市南西部には「二本木」というエリアがある。今回はこの地域がどのように移り変わってきたのかを調べてみた。 まず最初に現状の確認。入間市二本木は、以下のオレンジ点線の部分である。 入間市二本木 ...
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入間市二本木にある「オッパケの坂」は数万年前からある?
2025/10/18 二本木
埼玉県入間市の二本木神社近くには「オッパケの坂」がある。高低差は21mもあって、結構な急斜面。私のようなおじさんだと、自転車で登りきるのはまず不可能。徒歩でも息が上がってしまう。 昔から変わらぬ坂だが ...
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二本木上宿の道標|入間市内最古・1744年(延享元年)に造られた
2025/10/9 二本木
入間市にある二本木長田交差点。ここに設置されている「二本木上宿の道標」は、単独の道標としては入間市最古で、市指定文化財となっている。 造られたのは1744年(延享元年)なので、江戸時代の中頃まで遡る。 ...